WAR AND PEACE

 昨日、以前紹介した【歌詞募集】で集められた歌詞をニュース23にて坂本龍一さんの『WAR AND PEACE』という曲乗せて出来上がった曲を放送していた。
 ほかのはてなダイアリーの大半ではどうやらあまり反響はよろしくなかったようだが、自分としては、反戦論者であり、自称平和主義者であり、昨日の作品は一聴、ラプソディのような言葉の中にストレートな想いが入っていたと感じた。桜井さんの『ピースサイン』という言葉についてはいろいろ言われているようですが、言葉とは常に進化・成長しているものだという体験から、知らない者としては理解しやすい言葉の選択だと感じている。そう、それは、リアルという言葉はリアルタイムの略であるのに、まったく別の意味として現在使われているのとさほど変わらないと思うからである。
 そして、自分が一番印象に残った言葉はよしもとばなな先生の言葉である。


今日と同じ明日でありますように もしそう願えないとしたら そこには戦争の意味の小さな種がある 個人はそれともっと戦うべきだ
という部分である。流石作家と言うべきが、もう詩人のような言い回しのようである。これは戦争ということだけに捕らわれずに、生活する上での出来事や、社会的環境などにでも当てはめることができるように感じる。他に参加された方々の殆どが素人であるが故に一番言葉の扱いが上手いと感じるのもしかたないのかもしれないが、逆に、他の方々の直接的なメッセージに比べて後々考えるととても深い意味に感じらる。


 また、歌詞の内容とは関係ないのだが、杉山さんの言葉に

恨みつらみを唱えて子どもを育てれば、子どもたちも“そう”いう考えになってしまう。
心豊に育てることがテロへの反抗になる。
ダビングしていたわけではないので、全てそう言っていたとは言い切れないがたしかこのようなことを言っていた。


 また坂本龍一さんの言葉に

一人一人の人たちの意見を議論しあって出す場がない

『愛』『平和』『反戦』という言葉で拒否、拒絶反応してしまう人もいる。それは自分達がそれたちに拒絶反応するのと同じように
というようなこともおっしゃられていた。
 この教授の言葉は自分にとって一番印象に残っている言葉である。一番印象に残っているといってもこれまた一字一句間違わずにメモできていたわけではないのだけれど、この当たり前とも思われる言葉。実は自分は今まで気が付いていなかった。自分もいろんな言葉に対して拒絶反応してしまう。例えば、『頑張れ』という言葉だったりするのだけれど、反戦運動に拒絶反応してしまうが平和を願う人々の思いが理解できないでいたからだ。今もそういう人たちの思いが理解できているわけではないが、そういう反応だって当たり前だということに気づかされた。
 自分自身、自称平和主義者だが、これといった運動をしているわけではない。しかし、自分が戦争によって死にたくないし、人を殺したくない。愛しい人を殺されたくないという思いだけで、戦争反対を唱えている。そして、教授が監修した9.11に関する『非戦』という本を読んで以降、『反戦<非戦≦不戦』というようになった。
 だからどうしたというわけではないが、何と言えばいいのか解らないが、先日の放送に関して自分が見た中ではネットにはアンチが多いようだが、自分は良いものを見たと思っている。