もう、いや、ずっと独りでは生きていけそうにもない

その日も聞いたと思うのだが、小鳥は『堕ちた』のか『堕ろした』のか。それが問題だ。それはまったくの別物で、感じるものも罪も違ってくるというもの。
解らないフリをして綺麗事を並べ立てているのではなく、考えるのではなく、感じたことのつもりだった。
私達は幕をしいていたのか。
あの日から数ヶ月にも及ぶカーテンコールが知らない間に終っていた。
誰でも良かったのか?
我がままではなく我儘に付き合わせたことで嫌い度数を上げてしまったのは自業自得。
次があるのか?
しばらくはもう何もできない。合わせられない。
ただ解ってるのは今自分が秋という季節の中で数年前に感じていた想いを再び感じているということ。
それがイヤで何か別のことを考えようとし、自棄になる。こうやってヒトは鬱になっていくのだろうと思うのです。
あの時は次を見つけて忘れていた。しかし其れまではずっと引き摺り歩いた道。
だから今回もずっとずっと引き摺り歩くのだろう。開き直って引きずってやるとさえ考える。