小さな物語#6

二月一日火曜日

 掃除の始まりを告げる音楽が校舎の中に流れ始めた。今日もやってきました掃除の時間。掃除が終われば、帰りの学活を残すばかりで、部活をやっている者は部活に汗を流し、部活をしていない者の一部は家に帰れることに浮かれたり、塾に行くものは少し憂鬱そうな顔を見せたりしている。眞子は剣道部の副顧問だったか剣道の経験者ではなかった。実質マネジャーのような副顧問だったので、特に用もないときは顔を出すことすらなかった。久しぶりに今日は顔を出そうと思いながらいつもの階段をいつものように駆け足で登り、いつものように踊り場で曲がる途中に滑っていた。眞子の履いているスリッパは特に滑る素材であったが、既に一年近くこのスリッパでこの階段を登っており、半ば滑ることが習慣になっていた。
 階段の上の方ではなにやら片手に持っている紙を見つめながら、階段を右から左へ、次の段では左から右へともう一方の手に箒を持ち階段を一段一段掃いている少年がいた。
 その姿は、本を読みながら薪を運ぶ二宮金次郎のそれに似ていた。その少年が三年生だと知っていたし、高校受験に向けた勉強をしているようにも伺える。しかし、その顔は何やらニタニタと笑みが浮かび、読んでいるものも教科書や参考書、ノートといった類のものではなく、ただの紙切れのようであり、勉強しているようには見えない。勉強している姿と言うよりは、授業中に回ってきた手紙を読んでいると言った方が正しいだろう。
「すごいね」
 眞子は軽い気持ちで声を掛けた。その声に視線を上げる少年は少し驚いたような顔を見せていた。
「えらいね。勉強しながら掃除してる」
 それは真剣にいったのではなく、からかうつもりで言ったことを眞子の笑顔が物語る。少年は何のことだか一瞬解らなかったのか、眞子が近づくまで少しの間固まっていたが、
「勉強じゃないけどね」
 と既に少年と擦違っていた眞子の背中に言った。眞子は振り返り、笑顔を渡し、階段の最後の段を上りきった。その背中に少年も笑ってみせた。