頑張れなんて口が裂けても言えない。

 例えば、スポーツ選手が、「みなさんの声援のおかげて良い結果を残せることができました。」なんていうけれど、その結果の過程の殆どはそのアスリートの努力やそれによって身に付いたアスリート自身の実力だと自分は思う。しかし、その競技中に本当に辛く、直にでも逃げ出したいと思うこともあると思う。そんな時は、観客が「頑張れ」と応援すれば、その期待に答えるべく、その期待へのプレッシャーに勝つために、アスリートは実力以上の力を発揮することもあるだろう。しかし、その観客の与えるプレッシャーに耐えるだけの強靭な精神がないときっとアスリートは競技中であろうが、トイレで力んでる時であろうと、逃げ出すことだと思う。
 それは、人生と言う名の競技を生まれた時から行っている一人一人のアスリートにとっても同じことだと自分は思っている。
 自分は、自他共に認めるまったい*1精神の持ち主だ。それは、高所恐怖症の自分が飛行機に乗るまえには必ず必要以上にトイレに行くし、空の上で乱気流に絡まれたりでもしたら、朝から一口も食べ物を口にしなくてもモノを吐き出すことが出来ることからも解るように、自分は自他共に認めるまったい精神の持ち主の人間である。嫌で辛いことに直面したならば、出来るだけ簡単にやり過ごせるように出来ないものかと常に考えている。
 そんなまったい精神の持ち主の自分でも戦わなければならない時がある。男だからとかそんなどうでもいい理由ではなく、やらなければならない時がある。そんな時に自分に出来る精一杯の行動をとる。そんな時に「頑張って」なんて言われて、「よし、もう少し頑張ろう」なんて思えたときなんてない。むしろ、「頑張ってんだよ!」と言い返してしまいたくなる。
 言いたいことが上手く伝えられているのかが心配だけど、つまり、まぁ、そういうことなのです。
 頑張ってるひとに「頑張って」なんて言うのは簡単だけれど、本当にその頑張ってる人のことを見れている人ならば、「頑張って」なんて安っぽい言葉を言えるはずがない。
 では、なんと言えばいいのか。
 そんなもん、自分で考えてください。自分も今それを考えている最中なんだから。今のところ解っているのは、決して自分にできることは言葉を投げかけることだけじゃないってことだと考えているのです。

*1:方言。この場合、弱いという意