夢の中で僕ら手をつないで飛んでた。目が覚めて僕は泣いた。

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今日、もう亡くなってしまったおばあちゃんの夢を見た。どんな夢か忘れてしまったけど。

というくだりで始まった日記だったので、[はてな夢日記]への参加に先を越された感じがした。*1

最後にあった時はとても元気だった。だから、亡くなった事があまりに突然で悲しかった。言いたい事とか言わなければならない事とかいっぱいあった気がした。

それから、しばらくしてからの朝の事。夢でおばあちゃんに会った。私は

「おばあちゃんの事大好きで。」

って言いたかったけど、言う直前で目が覚めてしまった。起きてから、しばらくボーっとしてて、「あぁ、そうや。今日学校おわったらおばあちゃんち行って言えばいいやん。」と考えた。考えてすぐ、おばあちゃんがいないことを思い出して、もう二度と伝える事の出来ない事が悲しかった。

だから、言える時に言わなくちゃなぁとつくづく思った。

好きな人に好きって伝えなきゃぁな。お母さんとかお父さんとか、友達とか、それから、好きな人に。

 id:gin-oi2:20040320#1079794966の■ [ニュース]いかりや長介さん死去 00:02でも書いたのだが、身近な人が死んでしまうことは幸い経験ないのでその感情というものが解らないが、死というものは怖く、恐い。恐怖している人間の一人であることに間違いはない。
 昨日まで、さっきまで元気だった人間、生物が死を迎えるのは簡単なことだ。例えば事故だったりする。だから一期一会精神とでもいうのか、その出逢いを、その人との共有した時間を、共有している時間を大切に、大事にすることは望ましい生き方だとは思うのだが、自問するとそう生きていると答えれる自分はいない。その時は、その大切さに気づかず、別のコトを優先している自分がいる。
 横道坊主今井秀明さんの言葉にこういうのがる。

“いつ壊れてもおかしくない”そういう覚悟がないと恋愛も友情も結婚も、続いていかない様な気がする。お互いが“なあなあの関係”になったら最後かもしれない。もう少し相手をわかろうとする気持ちを大切にしたい。
“それが壊れてもいいものなのか”
“壊れちゃ嫌なものなのか”
ほら、おのずと自分の出方が決まってくる。
横道坊主の会報誌『GOOD Times BAD Times VOL.16 今井の横道屋』より文面そのまま引用)

 今この言葉を改めて読み直すと今日までの自分がこの言葉の影響を受けたはずなのに、今まで覚えている言葉なのに、そう生きていなかった自分に落胆する。その時の感情で誰でもかれでもに対し、罵倒を浴びせていたりしている。
 一期一会の精神、感謝の気持ち、ギリギリの世界。そう胸にもう一度刻み直し生きていけたらと思う。

だから、言える時に言わなくちゃなぁとつくづく思った。

好きな人に好きって伝えなきゃぁな。お母さんとかお父さんとか、友達とか、それから、好きな人に。

 確かにそうだと思う。好きな人に好きと伝えるのはやっぱテレくさいものもあるけれど、伝えないと伝わらないことは当たり前のことだもんね。そう考えると、氣志團の歌詞にでてくる、

父ちゃん母ちゃんありがとな

Father Mother あなた達がくれた愛を贈りたいんだ

と唄ってるのは素敵なことだと思うのです。*2自分の誕生日に両親に“生んでくれてありがとう”と言えるような勇気が欲しいね。まぁ自分はそんなキャラじゃねぇんですけどねw

*1:けっこう夢は見てると思うのだが、メモでもしとかんと夜には忘れてるw

*2:上段は『スウィンギン・ニッポン』って曲で下段のは『SECRET LOVE STORY』っつう曲。両方とも先日発売された『TOO FAST TO LIVE TOO YOUNG TO DIE』ってアルバムに入ってますし、シングルもありまする。