覚悟と勇気

この世にはまだ誕生していないが、俺の子どものカケラが母体に存在している可能性が高い。
それはここ最近に解ったことで、病院でちゃんと調べたわけではないが、検査薬では妊娠と出ていた。
今日はそのことで話をしていた。

もし、産むとしたら、二人はどうするか。
産むとして、二人が一緒になるとしてもちゃんとやっていけるかという心配が大きい。なぜならば僕達は既に終わっている仲なのだから。
お互いにもうやっていけないと判断し納得し分かれた間柄。しかし、妊娠しているからとして再び一緒になり、籍を入れるにしても、既にお互いに求め合うものが無いのに子どもの為に一緒になっても長続きしないような気がする。

もし、シングルマザーとして子どもを産み育てるとしたらどうなるか。
シングルマザーとは最近じゃ物珍しい例ではなくなっているにしろ、それは並大抵の覚悟じゃやっていけないだろう。子ども一人育てるということは今後の人生全てを子ども中心に考えなければならないだろうし、経済面でもとても大きな負担になる。

では、降ろすのか?
降ろすということは、今そこにある命を奪うこと。尊い命を殺めること。医学的にまだ死亡診断書が要らない妊娠期間だとしてもそれは当人にとっては同じことで、術後の不妊という不安もある。

どうすることが最善策なのか。
女性は自分の中に新たな命が宿っていると知ったときから母性本能が子どもを生かそうとするだろう。
相手の女性も産みたい気持ちと現実問題として降ろした方が良いという考えが半々にあり、「産む覚悟もなければ、降ろす覚悟もない」と涙を流した。
男にしてみれば、今自分の経済力や相手への気持ちを考えて答えを出してしまう。
俺は今の経済力、二人の間柄、親父しての自覚、自信から、今回は産まない方向で考えたいと思っている。しかし、やはり儚い鼓動を止めることへの後ろめたさに胸揺れる。

薄情は俺は相手が「降ろす」と言ってくれることを願っていた。
流石にそのことは言葉に出せないし、それは自分の弱い部分であり、問題から逃げているだけだと思う。
産む覚悟と降ろす覚悟、産む勇気と降ろす勇気、それは男には想像もつかない不安と恐怖、希望そして期待の狭間で導き出すことなんだろう。

今日は結局どちらの答えも出せず、来週の自分の休みの日に二人で病院で診てもらいに行くことにした。
もしかしたら、検査薬の誤診だったかもしれないという淡い期待を抱く俺とは違い、もし妊娠してるとしたら降ろさないかないことが決まると不安を抱く相手。
どちらにしろ、何週目なのかもハッキリ知りたいし、もう少し考える時間も必要だからとりあえず来週それまで、お互いに一人で考える時間としよう。

もし妊娠していたら、産む事にするのか降ろすことにするのか。
今だ大人になりきれない自分たちにとってしてはとても重い選択肢である。