読解力低下が浮き彫りにされたらしい。

 NEWS23では東京都世田谷区が特区を取り、国語とは別に『日本語』の授業を設けたりしているらしい。「日本人なのに日本語の勉強をしなければならない時代になってしまったのか」と落胆してしまう。
 自分の学生時分は日本人なんだから、漢字の書き取りはともかく、取り分け国語の勉強をせずとも点数はとれるだろうと、軽視していたフシがある。それは悪まで国語や現代文に限ったことで、古文や漢文などは多少なりとも勉強しなくては理解に苦しむ。しかし、それでも授業中に理解してさえいればそれも然程問題ではなかった。
 それが、定期テストにおける国語に対しての考えだ。定期テストとは別に実力テストではそうもいかない。数学など他の教科に比べ国語の実力テストは教科書には載っていない文献から出題されることが当たり前で、五十分の時間中に小文を読み、理解し問題を解かなければならず、時間を惜しんで小文を読まずに問題に取り掛かった場合には痛い目を見たものだ。
 そんな程度ででしか国語における思い出はないのだが、今回のこの読解力低下は詰め込み式の教育からゆとり教育に変わったことの結果なのだろうか。
 いつからゆとり教育が始まったのか知らないので、この結果がゆとり教育の結果だとは断言できないし、百パーセントそれが原因だとは思わないので、断言はしない。ただ、これも時代なのかなと。それは、短文文化が原因なのかなと。短文文化になったのも極最近なのだが、それでも四年も間があれば充分だろうと思うので、原因の一つとしてこれを挙げる。
 短文文化とは簡単に言えば、携帯電話のメール機能を代表とした遣り取りのソレ。
 短い文章どころか、一文で遣り取りされるその内容に一喜一憂する人も多いだろうと思う。自分はよくなる。一文だし、活字であるから故に相手の感情が感じれなく、その時の自分自身の感情によって左右されてしまう。例えば『そんなことないよ』これだけを見た場合、強く否定しているのか、弱弱しく小声で漏らすように言ったのか解らない。いや、これは例えば悪い。でもまぁそういうことです。
 それによって受け取り側は一喜一憂し、つまらぬ言い合いににもなりかねない。特に自分なんかはキーボード打ちになれてしまっているので、携帯での文字打ちがかなり遅い。自分でも苛々するので、短文で返してしまうこともしばしば。そして、またつまらぬ言い合い…。
 それを阻止するためなのか、単なるウケ狙いなのか、アスキーアート・顔文字などが生まれ、携帯では依存文字に絵文字が生まれた。結果的にこれがいけなかったのか、若者の間では顔文字や絵文字や記号だけでやりとりしたりすることもあるらしい。もやは暗号文だ。そして、メールを打つときには伝えたいことよりも、絵文字を入れることに必死になるという。もはや何がしたいのか解りません。
 自分が何を書きたかったのかも解りません。だから、途中で辞めます。ここにも一人読解力のない人がいるというオチです。
 ここまで読んでくれた人ありがとう。そして、ごめんなさい。


書きたかったこと
  • 絵文字や顔文字だけの文体→象形文字
  • フランス:数学の必要性、活用性を理解し学んでいる。例:デザインするために図形を読むことができなければならない。→日本人:必要が無い。⇒自分の中学の時も同じ考えだったが、数学のK先生が「数字を読む」「活用。計算するのではなく、応用できるチカラを養う」「すでに数学を活用して今まで生きてきているはず」と言っていた。
  • 漫画も読まない若者→そのくせ漫画を読書としない老者
  • 漫画はイラストメインなので、活字メインと比べて読解力を養うのには難しいかもしれない→絵本のように文字がすくなくとも思想・読解力などを養うこともできる。
  • 言葉を使わない時代。→例:慟哭などの難しいとされる表現。ことわざや四文字熟語などの語彙。
  • 毎日新聞のサイトにアップロードされていた例題をやってみるなど



ソース⇒
【15歳の読解力低下が浮き彫り 処方せん見えず】毎日新聞
NEWS23での報道参考。2004.12.7.

読解力⇒

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宮川 俊彦

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