私が考える○○@私の考える芸術

 自分が芸術に興味を持ったのは、今も昔も一度もない。何て言ったらきっと嘘になってしまうだろう。少なくとも詩人であり、芸術家である三代目魚武濱田成夫という人物をリスペクトしている自分が芸術は解らなくとも興味があるのは必然である。しかし、自分が三代目魚武濱田成夫をリスペクトする大きな原因となったのは、彼の生き様そのものであるが故に芸術そのものに関して言えば全くと言って解らない一般人だ。そう、本物に忠実に描かれた絵画を見て「上手い」といい、抽象画を見ても子どもの絵と区別がつかない一般人だ。
 しかし、そんな一般人でも時として芸術に感動することがある。
 私はとある女性の作品を拝見し感動した。彼女はリアルなモノをリアルに記録するカメラで作品を作り出す写真家。彼女の写真をたまたま拝見した私は、他の人の写真とは違う印象を受け、何とも言えぬ感情に直面した。最近までその感情がどうして沸きあがってきたのか解らなかったのだが、同じく彼女の作品を見た人の感想で少し謎が解けたような気がしている。その人が言うには、
「男の目線だね」
 先から何度も彼女と言っていたように彼女は女性である。しかし、男目線だというのだ。だから男の私が見た時に何とも言えぬ感情が生まれたのではないのかと考えた。そう、確かに私が彼女の写真でその感情を抱いたのは、女性がモデルの写真だった。つまり、他の人の写真とは違う印象と言う感情とは、男目線の写真を見た自分がその女性を意識して沸き起こった感情、つまり“性”だったのかもしれない。ということは、やはり自分は芸術というものを解っちゃいないのか。いや、写真家だけでなく、芸術家にとって自分が撮った写真、作品によって誰かが何かを感じるのは嬉しいことではないのか。むしろ、作者側の思いや考えが100%、ストレートに相手であるギャラリーに伝わることは直接的なメッセージ性がない限り不可能であると考えるのが自然だ。
 現在、仲良くさせて頂いている彼女と一度現代芸術について話したことがある。


――私も正直、芸術がなにであるか分かりません。
自分の気持ちを外に出して、人になにかを伝える手段として、写真を続けていければいいなと思っています。
最近思うのですが「現代アート」ということばが独り歩きしてますよね。私も好きな作品もあるけど、正直、わけわかんないもの多くないですか? そういうの見た後、気持ちがもやもやして
疲れたりしませんか?
わたしは、分かりやすいものをつくっていきたいです。
たとえそれがチープだといわれても――
 と彼女は言われていた。そして最近、毎号購読しているヤングキング少年画報社)という雑誌で連載している小池田マヤ先生の『聖★高校生』という漫画で、現代美術に関して描かれている話があった。作中では、構想設計、俗に言う現代美術とは何かということを描かれていた。

――戦後作られた絵画や作品は全部現代美術だけどな、一般認識は違う。絵画といえば花や風景や人物…具象物キャンバスに描いたものと思っている。そうでなければ抽象画としてひとくくりだ。そして絵でも彫刻でもない作品には「わけのわからない現代美術」とひとくくり。だから“俗”という言い方をした――※脚注1

――構想設計…コンセプチュアルアート『広義には言葉、写真、図面、パフォーマンスなど「可能なかぎり物質性を排除した経済的な手段」によって、概念を直接的に表そうとする傾向をさす。――
――作る過程や鑑賞そのものが作品。概念が作品で、作品はそれを表す道具でしかない世界――※脚注2
 とあった。また三省堂提供「大辞林 第二版」では、コンセプチュアルアートとは

――1960年代以降の現代芸術の潮流の一。作品における物質的側面よりも観念性・思想性を重視し、記号・文字・パフォーマンスなどによる表現を目指す芸術。――
 とある。つまり、戦後の作品は全てひっくるめて現代芸術、現代アート(美術含む)といいその中に、コンセプチュアルアート概念芸術があるということだ。(※脚注3) そして、概念芸術はその概念を100%ギャラリーに伝えることは難しく、ほぼ不可能だと思う。しかし、概念芸術ならば、芸術が解らない私のような一般人にでも簡単に始められそうに思えた。例え作品が上手くいかなくとも概念芸術ならば、少なくとも創作者である本人はそれまでの過程や鑑賞の中に芸術を見出せると考えられるからである。
 私は、前述通り、本物に忠実に描かれた絵画を見て「上手い」といい、抽象画を見ても子どもの絵と区別がつかない一般人であり、“芸術”なんて大それたことは解らないのだが、“芸術”の意味をを辞書でしらべると、

――特殊な素材・手段・形式により、技巧を駆使して美を創造・表現しようとする人間活動、およびその作品。建築・彫刻などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、演劇・舞踊・映画などの総合芸術に分けられる。――※脚注4
 とあり、結局芸術とは、何かを表現しただけのモノであり、別に難しく考える必要はないのではないかと思うのだ。だから、数万円もするような絵画とかがよくあるが、私ははそれだけの価値が理解出来ないし、自分の好みじゃなかったりする。私は私が好きだと思った芸術を高く評価している。世間の批評なんて気にもせずに。万人に受け入れられるモノっていうのは確かにスゴイのかもしれないけれど、きっと芸術とはそういうもんじゃないのかと思うのである。


 今回、快く転載を承諾してくれた、シバイヌさんに深く感謝します。


 
脚注1:平成16年9月27日発行 ヤングキング 20号(少年画報社)掲載、小池田マヤ:作 『聖★高校生』より
脚注2:脚注2に同じ
脚注3:この解釈に自信がないのでツッコミ入れられると弱い。
脚注4:三省堂提供「大辞林 第二版」より

参考URL
SHIBADOG + Chocolate:http://sibainu.lomo.jp/
ヤングキングhttp://www.shonengahosha.co.jp/youngking/